音楽を聴きながら
中学以来のブログを書くことにした。
中学のころは訳も分からず、自分の中で処理しきれない気持ちをただ文字にする置き場所にしていたのだが、今もすることは変わらない。僕の中で処理しきれない何かを目に見える形にする。その過程をここに載せる。
それだけ。
中学のころはFC2ブログを使って、何かを意欲的に書いていた。一週間に1つとか2つとか、それくらいの頻度で記事をあげていたが、今になって考えると、それはすごいことだと思う。
毎日いろんな考えは湧くが、もはや自分に興味がないので、すぐに忘れ去ってしまう。
平穏無事な未来を望んでいるが、現在になにを望んでいるのかわからない。日々、ただ漠然と盛り上がってくる不安を煙草でこまめに消しながら、煙草による体調不良と戦っている。
煙草をやめると誰かに言ったが、その人はそんなことさして気にしていない。別にやめなくてもいいよとも言っていたと思う。
所詮人間が他人を気にするのは、ただそのようなフリをすることで自分の社会性を示しているに過ぎない。トイレで手を洗うのに似ている。
でも、そんな社会性の顕示さえもしてくれなかった彼女は、何なのだろう。本当に僕に何の興味もないんだろうか。
最近、煙草を喫みながら踊ることにハマっている。ツイストダンスが一番いい;うるさくないからね(マンションの下の階のやつがクレーマーなのだ)。
そうして脳みそに酸素がいかないうちは、不安が立ち上ってきたりはしないからいい。脳みそに必要なのは、砂糖と酸素。2Sだ。
僕は砂糖を欠かすことができない。これもまた気持ちがいいから。虫歯になるのは嫌だから歯磨きはするが、甘味を欠かすことは考えられない。そしてこれを欠かないのならば、酸素を削るしか脳に対抗する手段はない。
いろいろと考えすぎて死にたくなったら、煙草を肺に入れながら踊ればよいのだ。そうすれば一時的にではあるが、考える(考えさせられる)ことから逃げることができる。かてきょ先の生徒にもぜひ教えてあげたい。
僕はよく「この煙草一本に勝る幸せがあれば、いつだって禁煙できる」と嘯(うそぶ)いているけど、こんなものは端的にいって虚飾にすぎない。
僕にとって幸せ、それは不幸からすこし気分が持ち直したときに現れる副産物にすぎない(こんな厭世的なことを書いていると気持ちが暗くなるけど、でもこれって現実じゃん)。
だから、煙草は幸せの使者だと僕は思っている。煙草を喫まないと気分が落ち込むが、喫むことで気分が上向きになる。その時に幸せが垣間見える。
美しい構造だと思わない??
僕が煙草を吸わなかったらどうなるか。気分が低空飛行を続けるだけだ。僕のネクラは治らない。
でも、煙草を吸うことで、飛行機は上昇を遂げる。美しい飛翔だ。そして墜ちる。これまた美しい墜落。
そして墜落している途中に煙草を入れてさえあげれば、僕の飛行機はまた空を切り裂く上昇を遂げるのだ。
僕は、煙草のおかげで雲の上を知ることができる。これは、生まれながらに雲の上を飛んでいる人にはわからないだろう。ずっと雲の上を飛んでいるやつは、低空飛空を続ける奴らの気持ちなんてわからない。
そうだろ?わかる訳ねえじゃん。
だから僕は煙草をやめられない。
たとえ恋愛をしたところで、僕の飛ぶ高度は変わらない。
会えたら昇り、別れたら下るだけ。僕は一生不安というおもりをぶら下げていなければない人間だから、ずっと高く飛び続けることなんて無理なのだ。
悲しいことばっかり書いてしまったけど、でもほんとに現実は悲しい。
最近恐ろしい事件が多いけど、その理由なんてわかりきっている。
みんな、墜落して爆発するときは、砂漠に降りよう。それが社会にとって一番いいし、もしかしたら星の王子さまにだって会えるかもしれない。
コロナ禍で起こっている現象は、別にビル群に落っこちてテロをする奴の割合が増えたわけではない。落っこちるやつの数自体が増えているから、おのずとビル群に落っこちるやつの数が増えているだけなのだ。
僕はなんとか低空飛空で保っている。
エマージェンシー装置は円滑に動いている。
でも、
いつ墜ちるかなんてわかんないじゃん。
ちなみに、僕のエマージェンシー装置の一つは音楽。
音楽を聴くことでも脳みそを支配することができる。
墜ちていることを実感するときは、音楽を聴くようにしている。そうするとおのずと高度を復帰していることが多いから。
ちなみに、音楽を聴きながら、煙草を喫みながら、踊るのは本当に一番よく効く。そのまま身体だけベッドに落とせば、気づくと高度がいつもの低空飛行に戻っている。
やっぱ煙草やめらんねえな。
鷹賀正作 2022/1/28/4時ごろ
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